ヒトラー独裁の根拠となった「全権委任法」(正式名称は「民族および国家の危難を除去するための法律」(独:Ermächtigungsgesetz))。これは憲法改正によらず大統領権限を侵さない限り、立法府を経ることなくヒトラーに自由に法律の制定を認め、向こう4年間ヒトラーに「白紙委任状」を認めるという前代未聞の法律である。
しかし、注目しなければいけないのは、この法律が曲がりなりにも、国民の代表者である議員が集まった議会で審議されるという民主的な手続きを経て採択されたことである。議会にとって自分への死刑執行書への署名ともいえることがなぜ行われたのか。
この全権委任法成立前後の政治状況について簡単に述べる。この時代のドイツ政治はヴァイマル体制と呼ばれる共和制であった。この共和制では議員は完全比例代表制によって選出されていた。この比例代表制は死票が発生しにくい、すなわち民意を反映するのには理想な選挙制度であったが、小政党でも議席を有することが比較的容易であったため、少数政党が乱立しやすく、政権(内閣)を安定的に運営するために必要不可欠な過半数を有する政党が存在できなかった。政権は第一党であった社会民主党などの穏健政党を中心とした連立によって運営されていたものの、連立政権につきもの政党間での意見の対立からその基盤は危うく、内閣は短命で頻繁に交代した。しかし、1920年代後半はドイツは好景気によって一応の落ち着きを取り戻し、そういった問題は表面化しなかった。
1929年の世界恐慌によってドイツではたくさんの企業が倒産して国内には大量の失業者があふれたが、時の内閣は上記の理由から政権運営基盤が弱かったために短命で頻繁に交代し、有効な政策を長期間打ち出すことが出来ずにいた。次第に国民は現政権へ失望を深め、次第にヴァイマル体制打破を掲げていた政党が支持を集め、国会議員数を飛躍的に増やしていった。すなわち極右政党である国家社会主義ドイツ労働者党(通称「ナチス党」)、極左政党である共産党である。そして、1933年1月31日、ナチス党党首ヒトラーによる内閣が成立した。
ここで全権委任法成立当時の議席(下表参照)を見ると、意外にもナチス党が過半数を得ていないことが分かる。すなわち、全権委任法を成立させようとするためには、ほかの政党の協力が必要となるのである。そこで、ナチス党が使ったのが、躍進著しい共産党への恐怖心である。ドイツ経済界の資本家たちにとって、共産党が政権を握ることは資本主義の死でありすなわち自分たちの死を意味していた。この経済界の代表者ともいえる人物である国家人民党党首のフーゲンベルクはヒトラー内閣では経済相、農相の地位にあったが、
1932年12月に出された党の機関紙に「共産主義の脅威」という文章を載せ、その中でフーゲンベルクは「農業界は急進化しており、最終的には共産主義に落ち込む」とまで言っていた。このように混乱した経済状況にあり共産党の脅威に対抗するためには、唯一対抗できるナチス党を支援せざるを得ず、全権委任法も国難を乗り切るため、共産党に対抗するためのやむを得ない措置と判断し、賛成票を投じた。
中央党やバイエルン人民党は、ドイツでは数少ないカトリック政党であるが、ヒトラーはカトリックへ配慮する姿勢を見せたため、全権委任法に賛成したと言われる。
なお、当初は中央党ではブリューニング元首相らが全権委任法に反対していたが、ヒトラーはブリューニングとの会談で「悪いようにしない」というヒトラーの約束を取り付けたことから賛成に回ったといわれる。
またヒトラー内閣で副首相だったパーペン元首相や経済相・農相のフーゲンベルクはヒトラーをうまく取り込んで手なずけ、主導権を握ってナチスを封じ込めることが可能であり、全権委任法も無力化できると考えていたと言われる。
しかしヒトラーの方が一枚上手で、混乱した経済状況の一方、これに対処しなければいけない政権がたびたび変わるという不安定な状況を乗り切るためには断固として安定した政権を打ち立てるという名目で、また共産党の勢力拡大に危機感を示していた諸政党の恐怖心をあおることによって、全権委任法を可決させた。
しかし、実際には権力奪取して絶対的な独裁体制を手に入れるために全権委任法は使われた。諸政党はまもなく解体に追い込まれて議会は沈黙させられ、ヴァイマル体制を崩壊させることにつながった。
全権委任法採決の状況
| 政党 |
議席数 |
議席占有率 |
賛成投票 |
反対投票 |
欠席 |
| 逮捕・拘禁 |
病気 |
逃亡 |
| 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス) |
288 |
45 % |
288 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| ドイツ国家人民党 |
52 |
8 % |
52 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| 中央党 |
73 |
11 % |
72 |
0 |
0 |
0 |
1 |
| バイエルン人民党 |
19 |
3 % |
19 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| ドイツ国家党 |
5 |
0.8 % |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| キリスト教社会人民運動 |
4 |
0.6 % |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| ドイツ人民党 |
2 |
0.3 % |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
| ドイツ農民党 |
2 |
0.3 % |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| ドイツ農民連盟 |
1 |
0.2 % |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
| ドイツ社会民主党 |
120 |
19 % |
0 |
94 |
26 |
0 |
0 |
| 共産党(議席剥奪) |
81 |
13 % |
- |
- |
- |
- |
- |
| 総計 |
647 |
100 % |
444 |
94 |
26 |
1 |
1 |
「君たちは我々の生命と自由を奪うことができる。しかし、我々の名誉を奪うことはできない。」
(オットー・ヴェルス(社会民主党の重鎮議員)による全権委任法反対演説より)
「私もあなた方に賛成してもらいたくはない。ドイツは自由になるべきだ。しかしあなた方によってではない」
(アドルフ・ヒトラー 上記演説への返答)
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